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ヨコハマ見聞録

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臓器移植法案「A案可決」 独り言

難しい問題だと思う。
A案というのは
・「脳死は一般に人の死」と位置づける。
・本人が生前に拒否しなければ、家族の同意で臓器提供を可能にする。
・15歳未満の臓器提供を禁じる現行法の年齢制限を撤廃し、子供の臓器移植に道を開く。
というもののようだが、

私は私の家族に万が一のことがあった際には、
病院がなんと言おうと、法律がなんと決めようと、
脳死を死と認めないと思う。
昔、柳田国雄さんの「犠牲(サクリファイス))―わが息子・脳死の11日 」を読んで
深くそう思った。

家族が死に瀕したとき
心臓が動いていて、まだ体は温かいのに、
その科学的なものさしで脳の活動停止を判断し、
「やがて心臓が止まって、体が冷たくなっていくはずです」、という、その時をもって
果たして、家族の死の境界線がそこだと、納得できるのだろうか。
もう奇跡は決して起きないと、割り切ることが出来るのだろうか。

僕には自信がない。

臓器移植の問題と、脳死の問題がセットにされるのは
臓器移植の側から見るからであって
脳死を死と扱っていいのかどうかという側から純粋に考えた場合、
果たして同列で扱っていい問題なのだろうか。
臓器移植をしやすくするために、死の定義を決めてしまってもいいのだろうか。

例えば、脳死は死ではなく、
ただ臓器移植の側から見た死の定義、だけが違っていてもいいのではないかと思う。
すべての脳死を死と定義してしまうのはどうなんだろう。

自分の家族だけは、
心臓が止まるその時まで決してあきらめない、
と思う自由もあると思う。

もちろん臓器移植を待っている家族の側に自分が立った場合、
全く違った意見を全力で唱えるのだろうけれど。
by hama_kenbunroku | 2009-06-18 18:58 | 日々見聞録
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日産スタジアムバスクタ2階からの、横浜Fマリノス応援・見聞録


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